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一緒にスモールビジネスをしよう!⑦〜下駄屋の3代目〜

4月4日
読了時間: 2分

私は、高校、大学入学までは親の敷いた(希望した)レールに乗ってきました。

そのレールから逸れ、自分でレールを敷き始めたのは、

大学時代に海外に行き始めたころからだと認識しています。


それでも、

卒業後、地元、公務員を推す親のもと、

公務員ではないものの、地元の銀行に勤めたことで、

父はある程度満足したであろうと思います。


しかし、数年後に私の中の何かが動き、

親の敷いたレールを降ります。



銀行を退職し、

「青年海外協力隊(現在のJICA海外協力隊)」に参加すると決めました。


もちろん、親に反対されました。

なぜ転職ではないのか?

なぜボランティア?

なぜ海外?


親だけではありません、

銀行の同期仲間など、友人など、多くの人に反対されました。

お前にはこれ以上の人生はない。

もう結婚はできない。

今以上稼げる仕事には就けない、、、などなど。


私は「本当にそうなの?」と疑問に思いつつも、

ほとんどの人がそのような話をするので(おそらく善意で)、

そうなのかもしれないと思いつつ、

1度きりの人生だからという思いで、

銀行を退職し、海外へボランティアへ行くことを決めました。


反対派が多数の中ではありましたが、

最後には親や一部の友人に理解をしてもらい、海を渡ることになりました。



チュニジア在留中は、

弟妹を連れ、父親が遊びに来てくれたり、

大学の友人なども私の活動を見に来てくれました。


レールにはしっかり乗っている父だったけれど、

遊ぶことが家族で一番好きな父。

私がいることで、チュニジアに遊びに行くレールが見えたのかもしれない、

それはそれで嬉しいかもしれません。


ゲーム、ファミコンなども父自身がまず買って楽しんでいました。

(その後に子供にまわってきます)

本人なりにその時々を楽しんでいると思います。


しかし、海外にいる間にも、

地元の公務員の中途職員募集の案内を送ってきたり、

最後まで息子の「地元」で「安泰」な道を

諦めていなかったようでした。


そんな父でしたが、

祖父が体調を崩した際、

手元がおぼつかない中に、

それでも注文された下駄を作ろうとする祖父:傳(つとう)を見かねて、

仕事を手伝ったことがありました。



そして定年後、

「桐下駄堂島」を作る3代目となっていきます。


スモールビジネスの先輩です。


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