一緒にスモールビジネスをしよう!⑦〜下駄屋の3代目〜
- 2 日前
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私は、高校、大学入学までは親の敷いた(希望した)レールに乗ってきました。
そのレールから逸れ、自分でレールを敷き始めたのは、
大学時代に海外に行き始めたころからだと認識しています。
それでも、
卒業後、地元、公務員を推す親のもと、
公務員ではないものの、地元の銀行に勤めたことで、
父はある程度満足したであろうと思います。
しかし、数年後に私の中の何かが動き、
親の敷いたレールを降ります。

銀行を退職し、
「青年海外協力隊(現在のJICA海外協力隊)」に参加すると決めました。
もちろん、親に反対されました。
なぜ転職ではないのか?
なぜボランティア?
なぜ海外?
親だけではありません、
銀行の同期仲間など、友人など、多くの人に反対されました。
お前にはこれ以上の人生はない。
もう結婚はできない。
今以上稼げる仕事には就けない、、、などなど。
私は「本当にそうなの?」と疑問に思いつつも、
ほとんどの人がそのような話をするので(おそらく善意で)、
そうなのかもしれないと思いつつ、
1度きりの人生だからという思いで、
銀行を退職し、海外へボランティアへ行くことを決めました。
反対派が多数の中ではありましたが、
最後には親や一部の友人に理解をしてもらい、海を渡ることになりました。

チュニジア在留中は、
弟妹を連れ、父親が遊びに来てくれたり、
大学の友人なども私の活動を見に来てくれました。
レールにはしっかり乗っている父だったけれど、
遊ぶことが家族で一番好きな父。
私がいることで、チュニジアに遊びに行くレールが見えたのかもしれない、
それはそれで嬉しいかもしれません。
ゲーム、ファミコンなども父自身がまず買って楽しんでいました。
(その後に子供にまわってきます)
本人なりにその時々を楽しんでいると思います。
しかし、海外にいる間にも、
地元の公務員の中途職員募集の案内を送ってきたり、
最後まで息子の「地元」で「安泰」な道を
諦めていなかったようでした。
そんな父でしたが、
祖父が体調を崩した際、
手元がおぼつかない中に、
それでも注文された下駄を作ろうとする祖父:傳(つとう)を見かねて、
仕事を手伝ったことがありました。
そして定年後、
「桐下駄堂島」を作る3代目となっていきます。
スモールビジネスの先輩です。




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