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実績紹介



大企業にも負けないスモーカル・ビジネスを育てます
島根県:スモール・ビジネス育成施支援事業アドバイザー派遣業務 <事業内容> ✓ 中山間地域のスモール・ビジネス事業者に対して専門家を派遣 ✓ 個人事業主、移住者、地域おこし協力隊、NPO、地域運営組織、零細企業を支援 ✓...


経営者に寄り添い、経営課題の解決を目指します
宮城県:コロナ対応型食品製造業経営力強化サポート事業運営業務 <事業内容> ✓中小規模の食品製造販売事業者への経営支援事業 ✓補助金交付(75万円/補助率4分の3)と専門家派遣を通して経営力強化をサポート ✓事業者と一緒に専門家が補助金の使い途を検討、助言のみならずハンズオ...


経営者が抱えるモヤモヤがスッキリ解消します
高知県:高知県産業人材育成研修事業「なりわいワイワイ塾」実施委託業務 <事業内容> ✓土佐まるごとビジネスアカデミー(土佐MBA)の実践コース ✓起業希望者・中小企業経営者に対し、「ビジネス設計図づくり」をサポート ✓全6回の集合研修と全3回のWEB面談による事業者に寄り添...


有識者会議でアンテナショップの在り方を検討中です
宮城県:首都圏アンテナショップ「宮城ふるさとプラザ」在り方検討懇話会 <事業内容> 有識者7名で構成されるアンテナショップの在り方検討懇話会にマーケティング事業者を代表し、弊社代表が参加 時代や消費者の変化を鑑みて、新たな県産品の振興策を模索すると共に、現在のアンテナショッ...


地域活性化に向けたプロジェクトを立ち上げます
大町市:地域特産品及び流通販路に関する調査研究業務 <事業内容> ✓地域特産品の開発と販売を目指すため、現状調査を実施 ✓特産品を製造販売する小規模事業者20者超を訪問の上、経営状況をヒアリング ✓事業承継、原料高騰、人材不足など、各種経営課題を確認...


一緒にスモールビジネスをしよう!⑧〜スモールビジネスを勧める理由〜
私がスモールビジネスを勧める理由は、 根底に自分でやりたいことを自ら選び、 それを成していただきたい という想いがあります。 現代は、やりたいことを考える前に、目の前に選択肢が並んでいる状況、 誰かが作った選択肢。 その準備された中から、 選んでやってみる事が多いのではないかと思うのです。 選ぶことができている時点で、それはとっても幸せなこと。 私の祖父が選びたかった選択肢もあるはずです。。。。 だけれど、 そこから一歩抜け出し、 「自分のやりたいこと」を、 そしてそれをどこかで求める誰かのために 小さなビジネスにしてみるという選択をしてはいかがでしょうか。 あなたの成したいそれは、 誰かの欲しいものかもしれない、 誰かの「幸せ」の一瞬の為になるかもしれない、 あなたのそれがいいという人もいるかもしれない、 あなたから買いたいと言われるかもしれない、 大きなお金を求めるのではなくて、 何よりも、 やりたいことをやっている自分自身がどれほど輝くのか どれほど心が満たされるのか ぜひ味わっていただきたいのです。 大きなことではないけれど、 何かを成す
4月6日


一緒にスモールビジネスをしよう!⑦〜下駄屋の3代目〜
私は、高校、大学入学までは親の敷いた(希望した)レールに乗ってきました。 そのレールから逸れ、自分でレールを敷き始めたのは、 大学時代に海外に行き始めたころからだと認識しています 。 それでも、 卒業後、地元、公務員を推す親のもと、 公務員ではないものの、地元の銀行に勤めたことで、 父はある程度満足したであろうと思います。 しかし、数年後に私の中の何かが動き、 親の敷いたレールを降ります。 銀行を退職し、 「青年海外協力隊(現在のJICA海外協力隊)」に参加すると決めました。 もちろん、親に反対されました。 なぜ転職ではないのか? なぜボランティア? なぜ海外? 親だけではありません、 銀行の同期仲間など、友人など、多くの人に反対されました。 お前にはこれ以上の人生はない。 もう結婚はできない。 今以上稼げる仕事には就けない、、、などなど。 私は「本当にそうなの?」と疑問に思いつつも、 ほとんどの人がそのような話をするので(おそらく善意で)、 そうなのかもしれないと思いつつ、 1度きりの人生だからという思いで、 銀行を退職し、海外へボランティアへ
4月4日


一緒にスモールビジネスをしよう!⑥〜私の父 和已(かずみ)の失敗のない選択〜
親や先生の示す通りの敷かれたレールからは降りて、 私が今の生き方を選んだベースには、 傳(つとう)の息子、和已(かずみ)、 私の父親の生き方がものすごく影響をしています。 父は傳から 下駄屋は継がないで、 「成田空港」への就職を勧められて定年まで勤めあげます。 広い世界にチャレンジしたいと野心を持っていた祖父:傳とは異なり、 父:和已は安定思考な性格でした。 私の小さい頃の思い出の中の父は、 子供にはリスクを取らせないよう、 常に安全な道を選ばせ勧め、温和で実直なイメージです。 なので、私は小さい頃から、 失敗をするかもしれないという、 大きなチャレンジをすることがほとんどなく、 あまりドキドキしたことがなかったように思います。 私はそのように親の敷いたレールを上手に乗り続けていました。 大学受験では、 行きたい大学もあった、 チャレンジしたい大学もあったけれども、 勧められたのは家から通える大学、それも指定校推薦で。 大学進学もまたチャレンジすることがありませんでした。 安全な道を選ぶ、子供にもそれを勧める父。 父なりの子を想う愛情だったと思い
4月3日


一緒にスモールビジネスをしよう!⑤〜祖父が教えてくれたこと〜
「自分の人生は自分で決める」 その大切さを教わりました。 祖父は千葉の伝統工芸として認められる下駄を作り、 賞賛ももらい、職人として認められたすごい人だと思います。 しかしながら、 人生の最後まで 「店を継がず、進学し、もっと学びたかった。 外の世界を知りたかった、会社員として働いてみたかった」と言っていました。 自分のやりたいこと 親、周囲から言われること そしてその時代、 生きていく食べていくための手段を まずすぐ手にすることを考える 全く違う時代の流れがあり。 祖父は選べなかったけれども 結果、商売も繁盛、職人としての腕を認められ、 幸せだったかもしれない、 幸せに思うこともあったに違いないと思います。 だとしても、 自分で人生を選べることが幸せだということ 結果はどうだったとしても、 その時に選べなかったことが当人にとって残念だった、 と彼のその人生から教えてくれました。 働き方、人生にも選択肢が必要 選択肢は残したい、 そこから自分で選ぶことが、 幸せにつながるのではないかと思うのです。
4月2日


一緒にスモールビジネスをしよう!④〜長男 傳の本音〜
職人でもあり商売人でもあった私の祖父 傳(つとう)。 一財産を築いたであろう、 その姿から、時代の波に乗る大切さを教えてくれます。 そんな傳でしたが、 息子には下駄屋を継げとは言わなかったのです。 傳には女きょうだいが3人いました。 当時、女性では珍しく成田から都内大学に進学、 時には銀座へ買い物へ出かけたり、 新しい時代を好きなように飛び回るきょうだいたち。 「悔しかった、 自分は勉強もできた、成績もよかった、 本当は下駄屋を継がず、 もっと学んでもっと広い世界に出てみたかった 時代の変化が激しい時代、自分もそこにチャレンジしたかった」 と、年を老いた祖父傳から直接、 機会があるごとに何度も話を聞かされました。 傳は先見の目もあり、 誰もが下駄を履く時代の終わりを感じ、 息子には、外に出て働くこと、 さらに当時、開業直前の成田空港に、 目をつけて就職を勧めました。 その通りに、息子の和已(かずみ) 私の父は成田空港で定年まで働くことになります。
4月1日


一緒にスモールビジネスをしよう!③〜下駄屋の最盛期〜
下駄屋は私の祖父 傳(つとう)の時代が最盛期でした。 職人10人ほどを住み込みで抱え、 街で一番にテレビが家に入ったり、 この時代においては周囲からは、 裕福な家と見られていたのではないかと思います。 また、傳の妻 : 千代(私の祖母)も大変であったと想像できます。 職人分の毎食のご飯、洗濯と。 今のように機械がやってくれるわけではなく、 毎日よくやっていたと思います。 そんな多忙の中においても 祖母は合間には本を読んだり調べ物をしたり、 英語にも興味があったようで、 そんなバイタリティ溢れた祖母の一面があり、 感心しました。
3月31日


一緒にスモールビジネスをしよう!②〜祖父 傳(つとう)の時代〜
当時、周囲には誰も乗ってないような 五段式ギアの自転車を買ってもらった私の祖父、傳(つとう)。 さぞかし喜んでいたであろう傳に、 その自転車で山へ行ってこいと 傳助は言ったそうです。 ただ行くのではなく、 「下駄作りは材料の木を選ぶところから」 を学ばせたいという心があったようです。 山に生えるいくつもの木の中から、 素材に適したものを探す力をつけさせました。 当時、家業は長男が継ぐのが当たり前の時代。 傳助(でんすけ)も同様に傳(つとう)に引き継がせていきました。 「できるだけ現金を持つな、 お金が入ったらすぐ材料を買うことが大事、 それが商売を回す」 「自分の商売に関係ないものにお金は使うな」 など、一つずつ教わっていきます。 そして、期待に応えるように着実に、 下駄屋としてのノウハウを吸収していきます。 成田から新潟などに向い、 山に生えている木から、 目利きで下駄作りに適した木を選んで買ってくることもしました。 それを成田駅まで鉄道で運び、 駅からは馬車でお店まで。 若かったであろう男子が、 大金を腹巻きに入れて、 仕入れに遠くまで行く。
3月30日


一緒にスモールビジネスをしよう!① 〜私の実家は100年続く下駄屋です〜
一緒にスモールビジネスをしよう!
3月25日


一杯のコーヒー ベトナムの話④
一杯のコーヒー 待ち合わせ場所には、 約束通り、先ほど町で出会ったあの女の子が。 そして、女の子の家族が勢揃いで、出迎えてくれました。 お父さん、お母さん、、一人ずつ紹介をしてくれました。 そうしているうちに、 女の子と同じ年頃の少年少女たちが7、8人自転車でやって来ました。 そこからみんなでパーティ場所に移動するようでした。 この時点で危険はないとほっとしたことを覚えています。 パーティということでしたが、 カフェで、庭のようなところにプラスチックでできたイスに座り そこでコーヒーを飲みながら、みんなで話をするというスタイル。 高校の同じクラスの仲間のようで、 すごくいい子で、全員が英語で会話をします。 「将来の夢は?」と聞かれ 私は「銀行に勤めるんだ」と答えました。 みんなにも同じ質問をしたところ、 「自分も銀行に勤めたい!」 「学校の先生になりたい!」 「タクシーの運転手になりたい!」 と、色々な回答が出てきました。 そして、最後にここに誘ってくれた女の子に聞くと、 「私は日本に行きたい、日本に行って、日本語を勉強したい!」 という返事でし
2025年12月19日


白いアオザイの女の子 ベトナムの話③
最強に体調が悪くなる 「食べ物は美味しいけれど、その後、大抵お腹を壊している」 と当時の日記にもあるように、 とうとう熱が出るほどの具合の悪さとなりました。 遺跡から帰ったら気分が悪くなり、熱を測ったら37度、腹痛も。 少し休みましたが、夜には38度を超えていました。 さすがにやばい、、、 痛さと熱がバファリンとか正露丸のレベルではないと身をもって感じ、 何かあった時のためのお守りとして、 荷物の中に入れていた強めの薬を持って来ていたので、 それを飲んで寝ることにしました。 そして朝、 目を覚ますと、お腹は少し痛いながら熱はすっかり下がっている、 一安心。 橋の向こう側 病み上がりのこの日は12月24日、 ベトナムでのクリスマスイブはこうして始まりました。 本調子ではない私は、8ドルのホテルが功を奏し、 居心地良くお昼までゆっくり部屋で過ごすことにしました。 少しよくなって来たのか、街へ散歩へ出かけました。 古都でもあるこの街も、中国風な提灯に灯りが灯されたり、 クリスマスツリーが飾られたり、賑わっていました。 私もお土産などを買いながら、...
2025年12月12日


悪いやつと出会う ベトナムの話②
悪いやつと出会う この旅では、ここまでいい人との出会いばかりだったのですが、 とうとう出会うことになります、悪いやつ。 「シクロ」という自転車タクシーの運転手が、 しつこく声を掛けてくる、断り続けましたが、 それでもぐいぐい来るので、あきらめて乗ることにしました。 問題が起きることを想定し、まず料金の確認をしましたが、 それでも後からぼったくると思い、 持っていた「地球の歩き方」の余白部分に金額を書いて、 そこにサインをしたら乗ると手振り身振りで伝えました。 一日、観光地を巡り、最後に支払うという契約?をしました。 運転手はいい人で、巡った先のお寺の説明をしてくれたり、 レストランも美味しいところへ連れて行ってくれ「ここはご馳走する」、 また、シクロに乗ってる写真も撮ろうと気を遣ってくれました。 しかし最後、支払いの時に、案の定、すごい金額を提示してきました。 倍とかではなく、桁が違う、、、 言った言わないと始まり、 出発時に話した地球の歩き方に記載した「契約」内容を見せながら、反論。 運転手にしたら、予定より多く巡った、ご飯代も出したと言ってい
2025年12月5日


大学3年冬 ベトナムの話①
大学3年、小さい頃から親や先生からの助言通りのレールに乗り、 いよいよ地元銀行から内定をもらいました。 時間ができた私は、憧れのバックパッカーの先輩が訪れた国も含め、 ベトナム・カンボジア・タイと旅に出ることにしました。 飛行機チケットと初日のホテルだけ予約をして出発しました。 12月17日〜1月8日の年をまたいでの長旅です。 出発は成田から。 シンガポールを経由、ベトナムのハノイの空港へ。 シンガポール空港には夜中の1時着、 朝まで次の飛行機を待つために、寝そべられるベンチを目指していましたが、 同じような人たちでいっぱい、仕方なくイスで一晩過ごしました。 ハノイ空港でお迎え来ず 次の日、飛行機でベトナムのハノイへ。 空港にはホテルの人が迎えに来てくれるはずだったので、探しましたが、 それらしき人がいない、、、 仕方なく、空港のインフォメーションで確認したところ、 「そのホテルはハノイではなくホーチミン」だった事が判明。 ハノイは北、ホーチミンは南、東京と大阪のように離れている。。。 やってしまいました。 当時「地球の歩き方」を片手に旅する人も
2025年11月28日


あなたのスモールビジネスの伴走者です
私は現在、 全国各地域で小さな商売を営む方々を支援するお仕事をしています。 事業者の方と一緒にものづくりを考えたり、 商品の見せ方やサービスの売り方を考えたり、 またはビジネスプランを練ったりと、 日々、地域の現場まで赴いて事業者の方と一緒にスモールビジネスに取り組んでいます。 日々、様々な方々と出会い、話し合い、思いを聴き、アドバイスを伝え、仕組みを作り、、 一つ一つ同じ事がない、その人そのものによって、作り手が違うように、やり方や作り方、進め方も異なってくる、、、 そんな皆さんのお役に立ちたいと、お一人お一人に合わせて、 同じ仕事がない日々を送っております。 最初から、今のように 「恐れずに人と心を通わせ信頼関係を築き仕事をする」 みたいな人間では ありませんでした。 昔の自分のままであれば、この仕事には向いていなかったと思います。 人が敷いたレールをいかにしたら上手く乗っていけるかだけを考え、 目の前の人の気持ちや幸せを感じられずにいた自分、 そのままだったら、この仕事は向いていなかったと思います。 その私を変えた「一杯のコーヒー」は大学3
2025年11月21日
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